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2011年5月 2日 (月)

2011.5.1 ソーシャルメディアという「井戸端会議」

ソーシャルメディアが既存のマスメディアを崩壊させるという話があるが、まぁ、どうでしょう、極端な話、どうでも良い。

とはいえ、ソーシャルメディアは、マスメディアにはない特徴をもっている。

 

まず最初に「マスメディアとは何か」という点を考えると、「そのメディアを見ている人がマス(たくさんいる)」、つまり「マスへのメディア(メディア to マス)」ということになる。

これを「メディアがマス(規模が大きい=価値や信頼性が高い)」、つまり「マスからのメディア(マス to 個人)」だと勘違いしている人がいる。

こういう人は、ソーシャルメディアには向いていないだろう。

 

一方、ソーシャルメディアは、「メディア to マス」でも「マス to 個人」でもない。

「個人 to 個人」のメディアである。

それが無数に集まっているので、全体として見れば「マス to マス」のメディアということになる。

しかしながら、我々は「自分自身がマスそのものであるという認識」は持ち得ない。

例えば、自分自身を「このCMを見ている日本人数百万人そのものである」とは思えない。

(「マスメディア」を「マス to 個人」と勘違いする理由はここにある)

つまり、認識できる単位、つまり個人単位で見た場合、ソーシャルメディアとは、発信する場合は「自分 to マス」であり、受け取る場合は、「マス to 自分」になる。

 

さて、「ネットの情報は信頼できない」という人がいる。そういう人は「マスメディアの情報は信頼できる」と考えているわけで、おめでとうございます。

とはいえ、「ネットの情報が信用できない」というのは正しい。

しかしそれは、別に「ネットだから」なのではなく、「個人を発信源にしているから」だ。

マスメディアはビッグビジネスなので、情報を発信する際、集団による多重のチェックが行われる。

これにより「間違っていることが明らかな情報」が事前にチェックされるという構造だ。

 

一方、ソーシャルメディアは、個人からの発信なので、それを信用するかしないかは「あなたがその人を信用するかしないか」という問題でしかない。

それが間違っていても、それは単にあなたがその人を信じただけで、その人が非難される筋合いはない。

一方、ソーシャルメディアでは「間違った情報を発信して広めるな」という指摘や意見も多く見られるが、ほとんどが感情的、イデオロギー的、または意見が分かれてしかるべきものであるように見受けられる。

客観的に間違ったことを発信してしまった場合(例えば「今の総理大臣はビートたけしです」とか)は、お詫びして訂正すればいいだけの話だと思う。この点はマスメディアと一緒だろう。

 

ソーシャルメディアの特殊な点は、双方向性にある。

リアルタイムで、いろんな人がいろんな意見を言う。

その意見が交わされる場所はTwitterであり、ユーストリームであり、mixi、つまり各種のプラットフォームだ。

それらは物理的には存在しなくても、確固とした「場所」である。

そして、そこで行われるやりとりでは、個人の顔が見える。

また、身近なちょっとしたことから社会的な問題までが同じレベルで取り上げられる。

まさに「井戸端会議」のようなものだ。

 

ソーシャルメディアからの情報を享受するには、少なくとも「井戸端」まで出かけなくてはならない。

つまり、プラットフォームの会員になり、定期的にアクセスする必要がある。 

また、「どこの井戸端」に行くか、というのも、重要な問題だ。

あなたが「どこの井戸端にいるのか」ということが、あなた自身をを表しているのだ。

 

 

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