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2010年12月27日 (月)

12/27 「できるまでやれば、必ずできる」は何が問題か

参照記事:7/17 できるまでやれば、必ずできる

http://essere.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/717-b2e3.html

 

先日、上記の記事にコメントがついたので、久しぶりに読み返した。

前向きと見せかけた名言に対して「バカげた理論」と斬って捨てたのだけど、何がどうバカげているのか説明が足りない気がしたので、論理的に斬って捨てたい(やっぱり斬って捨てるのか)。

そもそもの文章は、

「できるか、できないか、ではなく、できるまでやれば、必ずできる」

である。

まず、「できるか、できないか、ではなく」は主題ではないし、「必ず」も副詞だ。

よって、この文のメインは「できるまでやれば、できる」である。

「そんなの、当たり前じゃん!」というのは論理的に斬って捨てることにならない。

そもそも、意味が通る文章とは、当たり前のことを表現していなければならない。

例えば、「私はカレーライスでソフトバンクなホームランを落ちた」という文章は、意味を成していない。なぜ意味を成さないかと言うと、当たり前な表現、つまり誰にでも意味が通る表現ではないからだ。

「当たり前である」ということは、文章の重要な要素であって、その点では、「できるまでやれば、できる」という文章は問題が無いといえる。

では、何がどう変なのかを考えてみたい(今から考えるのか)。

 

ここで、より分かりやすくするために、「できるまでやれば、できる」を、「沸騰するまでやれば、沸騰する」に置き換えてみよう。

こうすると良く分かるが、「沸騰するまでやれば」という仮定文において、すでに「沸騰している」のである。

仮定法とは、普通は「AであればBである(A→B)」という構成になっているものだが(例:水を100度まで熱すれば、沸騰する)、この文章は「BであればBである(B→B)」という構成になっている。

つまり、論理的に何の展開もされておらず、「BとはBである(B=B)」という説明文になっている。

そう実は、この文章は、論理的に展開する仮定法ではなく、単なる説明文なのである。

よって、この文章は、「沸騰とは、沸騰するまでやることである」と言い換えることができる。

しかし、「沸騰」の意味や方法を知らない人は、これを聞いても何のことか分からない。全く説明になっていないのである。そもそも、「沸騰」の説明をするときに、「沸騰」という語を使ってはならないのが原則だ。

これを元の文に当てはめて言い換えると、「できるとは、できるまでやることである」となり、「できる」の説明には全くなっていない。

国語辞典の「できる」の項目に、「できるまでやること」と書いてあるようなものである。

(ちなみに、仮定法の場合は言い換えることはできない。例えば、「沸騰とは、水を100度まで熱することである」は間違っている)

 

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