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2010年11月22日 (月)

BookレビューVol58 村上龍「希望の国のエクソダス」

物語は、パキスタンの部族の中に、日本人の中学生とみられる少年が発見されたことから始まる。彼は言う。

「日本のことはもう忘れた」

「忘れた?どうして?」

「あの国には何もない、もはや死んだ国だ、日本のことを考えることはない」

「この土地には何があるんだ?」

「すべてがここにはある、生きる喜びのすべて、家族愛と友情と誇り、そういったものがある、われわれには敵はいるが、いじめるものやいじめられるものがいない」(P12)

彼について、メディアは次第に興味を失うが、その影響は日本中の中学生に浸透していき、全国的な不登校が起こる。

不登校の中学生はビジネスを始め、全国的なゆるやかなつながりにより、その規模は日本を覆い尽くし、ASUNAROという組織を形成してていく。

あるとき、リーダー格の少年は国会の証人として立つ。

ぼくは、この国には希望だけがないと言いました。果たして希望が人間にとってどうしても必要なものかどうか、ぼくらにはまだ結論はありません。しかし、この国のシステムに従属している限り、そのことを検証することは不可能です。希望がないということだけが明確な国の内部で、希望が人間になくてはならないものなのかどうかを考えるのは無理だとぼくらは判断をしました。(P319)

そして、少年たちは、日本からの脱却を試みる。

本書で表現されているのは、痛烈な日本への批判だ。それは、メディアへの批判であり、政治への批判であり、これまでの日本を作ってきたのに今後の日本を示せない大人たちへの批判である。

本書は1998年に連載が開始された。当時、大人たちは、失われた十年が二十年になることを予期していただろうか。本書では2000年から2008年までを停滞した日本として描いている。本書が新しい未来の兆しを描く一方、現実は、相変わらず明るい展望は見えない。

大人たちが自信を失っていることが、子どもの教育にさまざまな意味で影響を与えている。教師も親も、ほとんどの大人が子どもたちに対し未来への展望を語れない。それは即ち、生き方のモデルを提示できないということになる。「学力低下」論にかいま見える復古型エリート志向は、未来が見えないことの裏返しだろう。それら古き良き高度経済成長やバブルをなつかしむ発想では、子どもたちにリアリティを感じさせ得ない。

将来の環境、資源、人口、食糧などの問題、そして何より平和な地球社会をどう作るかについては、子どもたちのほうが切実に考えているというのがわたしの実感である。大人の懐古と子どもの未来志向とのギャップは、まだ顕在化していないものの日に日に大きくなりつつある。(P436-寺脇研 『希望の国のエクソダス』文庫版によせて)

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