« 2005年12月 | トップページ | 2009年12月 »

2006年1月 1日 (日)

読書記録2005

  『こころ』  夏目漱石

  『ダ・ヴィンチコード 上・下』  ダン・ブラウン

  『芸術新潮 1月号』  新潮社

  『六人の超音波科学者』  森博嗣  講談社文庫

  『シュレ猫と読む量子力学の世界』

  『君主論』  マキャベッリ

  『ローマからの手紙』  塩野七生

  『捩れ屋敷の利鈍』  森博嗣  講談社文庫

  『就職四季報 2006年版』  東洋経済新報社

  『マスコミ就職読本 新聞・出版編 2004年版』

  『マスコミ就職読本 広告・IT・エンタテイメント編 2005年版』

  『痛快!経済学2』  中谷巌  集英社

  『バカの壁』  養老孟子  PHP文庫

  『マンガ ビジネスマナー』  皆川澄子  サンマーク文庫

  『頭がいい人、悪い人の話しかた』  樋口裕一

  『百器徒然袋 雨』 京極夏彦 講談社

3/15『重力ピエロ』  伊坂幸太郎

3/16『広告批評 2004年2月号』  マドラ出版

3/27『さあ、学校をはじめよう』  渡邊美樹

3/30『絶対音感』  最相葉月

3/31『ローマ人の物語1 ローマは一日にしてならず 上』 塩野七生

4/5『朽ちる散る落ちる』 森博嗣  講談社ノベルス

4/13『水柿助教授の逡巡』  森博嗣

4/19『赤緑白黒』  森博嗣  講談社ノベルス

4/21『ビートのディシプリン SIDE1』  上遠野浩平  電撃文庫

4/22『ビートのディシプリン SIDE2』  上遠野浩平  電撃文庫

4/23『ビートのディシプリン SIDE3』  上遠野浩平  電撃文庫

4/24『四季 春』  森博嗣  講談社ノベルス

4/29『黒笑小説』  東野圭吾

5/5『四季 夏』  森博嗣  講談社ノベルス

5/7『イタリア発ブランド通り』 新津隆夫

5/8『しっかり学ぶフランス語』 ベレ出版

5/8『四季 秋』  森博嗣  講談社ノベルス

5/11『四季 冬』  森博嗣  講談社ノベルス

5/13『図解 印刷業界ハンドブック』 東洋経済新報社

5/18『オペラと歌舞伎』 永竹由幸 丸善ライブラリー

5/19『AERA MOOK 就職の基本がわかる1 人と接する仕事がしたい』 朝日新聞社

5/19『やさしく学ぶ初級シスアド』 高橋麻奈 翔泳社

5/27『封印サイトは詩的私的手記』 森博嗣 幻冬社文庫

6/4『こんとらばすのとらの巻』 溝入敬三 春秋社

6/12『ハンニバル 上』 トマス・ハリス 新潮社文庫

6/27『ハンニバル 下』 トマス・ハリス 新潮社文庫

7/1『アマゾン・ドット・コムの光と影』 横田増生 情報センター出版局

7/3『理由』 宮部みゆき 朝日文庫

7/4『やさしい経済学』 竹中平蔵 幻冬舎文庫

7/16『海の上のピアニスト』 アレッサンドロ・バリッコ

7/27『冷たい密室と博士たち』(再読) 森博嗣

8/10『ダーリンは外国人』 小栗左多里

8/17『日本文化史』  家永三郎

8/19『鉄鼠の檻』 京極夏彦

8/19『ローマ人の物語2 ローマは1日にしてならず 下』 塩野七生

8/24『世界の中心で、愛をさけぶ』 片山恭一

9/5『GOTH 夜の章』  乙一

9/7『ダンテ・クラブ』 マシュー・パール  新潮社

9/9『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』 山田真哉 光文社新書

9/16『GOTH 僕の章』

9/25『ココを学ぼう!店長としての基本』 矢崎公久 すばる社

10/1『クビキリサイクル』 西尾維新

10/22『評伝ヴェルディ 第1部 あの愛を…』 ジュゼッペ・タロッツィ

10/22『インストール』 綿矢りさ

11/5『評伝ヴェルディ 第2部 偉大な老人』 ジュゼッペ・タロッツィ

11/6『ダーリンは外国人2』 小栗左多里

11/20『ナ・バ・テア』 森博嗣

11/26『生協の白石さん』 

12/4『これは絶対面白い  書店員が見つけたロングセラー』 太田出版

12/6『魔剣天翔』(再読)  森博嗣

12/7『ローマ人の物語3 ハンニバル戦記 上』 塩野七生

12/18『雑貨のお店を始める本』 成美堂出版

12/20『イタリア・ルネサンスの巨匠たち 29 カラヴァッジョ』



以上 67冊

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/1-3 (他ホームページより移転)

1/4【HAPPY NEW YEAR!】


明けましておめでとうございます。

突然ですが、
「明けましておめでとう」は
「HAPPY NEW YEAR」で、

「A」を付けて「A HAPPY NEW YEAR」にすると
「よいお年を」だそうです。

アメリカ人が言っていたのでたぶん間違っていないでしょう。

このように、世の中には間違ったもの、というのが無数にあります。
ところが一方で、
それを間違いだと知らなければ、
問題は発生しません。

つまり「間違いと知らなければ間違いではない」のです。
または「間違いと思わなければ間違いは存在しません」

これは日々の生活でもよくぶつかる問題で、

それが間違いと知らずにやって怒られたりだとか、
間違いとは思ってなかったのに失敗したりだとか、
自分が間違っているのか、相手が間違っているのかわからなかったりします。

では間違いとは何か?

つまり「正しい」とは何か?

アメリカ人はもはや、3人称単数のsを付けないとか、
「the apple」を「ジ アップル」と読むことを知らないとか聞きます。

それでもまだ学校では「正しい英語」を教えます。

とりあえず、「お前は間違っている」なんて言う前に
「正しい」とは何かを考えましょう。

1/8 【新年の抱負】


就職するまでに、大学生の間しかできないことを
しておきなよ、

といったセリフを、
誰に言われたわけでもないのに、
誰かに言われた気がするのはなぜでしょう。

世の中には一般論というのがあって、
疑問を持つことすら思いつかない意見があります。

で、一般的に就職を間近に控えた大学生が
大学生の間に何をしようとするものなのか
知りませんが、
僕は資格の勉強をすることにしました。
それは以下の3つ。

・販売士3級(2月)
小売業に従事するために必要な能力を持つ資格。
3級は販売員、2級は部長、または店長クラス、1級は大型チェーンの経営者クラス

・初級システムアドミニストレータ(4月)
一般企業内でのコンピュータシステム導入や運用の能力を持つ資格。

・簿記検定2、または3級(6月)
3級は個人店簿記、2級は企業簿記。

この三つは全然関係ないように思えますが、
実は5%くらいずつ関わりあってて、

例えば販売士は
企業システムやコンピュータに関する簡単な問題や、
店舗経営に必要な会計的な問題も出てきます。

初級シスアドも、
店舗の経営分析などで必要な計算、グラフ、表などが出題されます。

といった感じで、この3つを勉強すれば、
店長的な仕事も
総務的な仕事もある程度は基礎知識が得られるのでは、という予想。

知識を得ることが目的なので、
絶対に受からなければならないということもないし、
気楽にやります。

1/15 【オレンジレンジ】

流行に追いつこう、ということで、
「日経エンターテインメント」という雑誌を講読していますが、
それによると、どうも去年は
『オレンジレンジ』が流行った年だったようなので、
シングルを中古で4曲ほど買ってみました。

感想は、
「はぁー、んー、へぇー、あぁー、」
って感じ。

思ったより悪くはなくて、
3ボーカルのおかげで、1曲1曲がカラフルにできています。

それにラップの曲って歌詞が意味不明なのが多い印象がありますが、
けっこうちゃんとできています。

僕が買ったのは
『花』
『ラブ・パレード』
『キズナ』
『アスタリスク』
の4曲ですが、

歌詞がいちばんよかったのは
『アスタリスク』

音楽が一番よかったのは
『ラブ・パレード』

かな。

『花』も、
映画『いま、逢いに行きます』
とうまくハマッていていいと思います。

…、あ!
…今気付きました。

『いま、逢いに行きます』って、
『いま、愛に生きます』

とかけてあるんですねー。

やるなぁ。

 

1/23 【京都大学交響楽団第一七八回定期演奏会終了】

中国語か、と思わせるタイトルです。

1月19日、21日が
第178回定期演奏会でした。

いやはや、大学生活を思い返すと、
いろいろありました。

最初は京都産業大学の応援団の吹奏楽部に入って、
コントラバスを弾く傍ら、
たいこを叩いたり、木琴を叩いたり、
野球応援で叫んだりしました。

そこをやめて京都大学のオケに入ってからは、
それまでも結構激動でしたが、
さらに激動で、何が激動かというと、
毎日往復で1時間半近く自転車を漕いだのが激動です。
(激しい運動という意味)

なのに一向に痩せる気配がなかったのは、
家に帰るのが11時で、それから夜ご飯を食べてすぐ寝るからでしょう。

あと、一番思い出になっているのが宣伝チーフをしたときです。
人にあれこれ指示するのは、なかなか痛快です。
嘘です。
ヘコヘコしてました。
ヘコヘコしながら、腹黒くなった半年です。
だからきっと最近ネコが寄り付いてくれないのです。

昔はピュアだったので、ネコと仲良しでした。
幼稚園くらいのときは、
ネコといっしょにアパートの駐車場の
アスファルトで寝ていたことをよく思い出します。
そして、よくひかれなかったものだと感心します。

あと、別のネコで、たまご焼きをあげたところ、
非常に仲良くなったことがあります。
そのころはもう小学生だったので、
駐車場では寝ませんでした。

あと、大学になってからですが、
あれは暑い夏のある日のことです。
京都北山の植物園でネコを発見したので、
たまたま持っていたミネラルウォーターをあげました。
器が無かったので、ペットボトルのフタに入れてあげました。

すると、どこからか別のネコがやってきて、
ニャーニャー鳴くので、そのネコにもあげました。

すると、またどこからか別のネコが来てまたあげると、
またどこからか別のネコが来て、
あげようとしたらまたネコが来て、
と思ったらまたネコが来て、

包囲されました。
10匹くらいいたでしょうか。
水は全部あげました。

あと、(まだあるんかい)
イタリアに行ったときも、
道端にネコが2匹いて、
一時間半くらい、一緒に遊んでいました。

そんな感じで、僕はネコの話をすると止まりません。

大阪にメイドカフェならぬ
ネコカフェ(ちゃんとした動物のネコです)
があるらしいので、
就職する前にぜひ行きたいと思って
やみません。

1/28【THE有頂天ホテル】

見るべし。
以上。

嘘です。

笑えます。
関西だから、というのも大きいと思いますが、
映画館内が爆笑。
日本の映画館で、こういうのは珍しいんじゃないでしょうか。

『THE有頂天ホテル』を見るか、
『フライトプラン』を見るか、
今さらながら『ALWAYS 三丁目の夕日』を見るかで悩みましたが、

公開一週間で150万人動員という情報もあったので、
『THE有頂天ホテル』にしました。

笑える、と書きましたが、
単に笑えるだけではなくて、
ホテルというのは、社会のミニチュア版なのです。

いろんな人が、いろんな役割を持って、
いろんな人生を歩んで、いろんな関わりを持っている、
それがホテルという場所で、わかりやすく凝縮されています。

これは、見て損は絶対ありません。
あと、今のところ満員状態なので、
見たい人は早めに映画館に行って、
整理券や指定席券をゲットしておく必要があるでしょう。

1/30【技術革新による、既存の手法あるいはそれに準ずるものの価値の上昇についての考察】



もちろん題名だけでは何のことやら分からないでしょう。

このように、一見何のことやら分からず、それで逆に注目させる、
というCMが最近多いような気がします。

という話は全然関係なくて、
そうですねー。
うーんと、

技術革新はまあいいとして、
既存の手法、あるいはそれに準ずるもの、というのは

「昔ながらのもの」

のことです。

今、パッと思いついた分かりやすそうな例は、
「電子辞書」と「普通の辞書」でしょうか。

電子辞書はもちろん普通の辞書より
軽いし、検索が楽だし、などの利点があります。

でも一方で、実は普通の辞書のほうが優れている機能、というのが
あるのではないか?
ということです。

これは別に、
便利なのはダメ、楽はダメ、昔ながらのものを大事にしろ、
というよくわからん感情論ではなくて、
機能の問題です。

たとえば、辞書はマーカーで線を引くことができて、
一度調べたことがある単語をチェックすることができます。
これって実は、結果的によく使われる単語がマークされることになって、
次に調べるときに探しやすい、という効果が(ときどき)発揮されます。

あと、よく言われることですが、電子辞書は検索した単語しか
表示されませんが、
普通の辞書は周囲の単語も目に入るのでいい、という漠然とした
評価もあります。
これは上記のマーキングと相乗効果を発揮します。

あとは、辞書って単語の重要度で
色分けとか文字の大きさが違うので、
それで単語の重要度を知ることができます。

こんな感じで、決定的ではないけれども、
辞書が電子辞書に勝る価値を持っている、と考えることは
それほど間違っていないと思います。

もちろん、電子辞書の携帯性、検索性が、
辞書だけが持つ価値をはるかに越える価値をもっているのは間違いないですけど。

ただ重要なのは、電子辞書はある方面の価値が
減少している、ということです。

ということは、電子辞書の登場によって
辞書の価値は相対的に上昇した、
と考えることができるのではないでしょうか。

…ちょっと分かりにくいので、例を変えましょう。

メールで送る年賀状と、はがきで送る年賀状は、
どちらが価値があるでしょうか?

もちろん「価値」というのは「価格」とは違い、主観的な評価であって、
決め付けることはできません。

しかし、今のところ、ハガキの年賀状のほうが価値があるのでは
ないでしょうか。

ちなみにここで言う価値とは、
送るのが簡単とか、紙がもったいないとかもありますが、
それよりも年賀状がもたらす「効果」という意味での価値です。

この「効果」というのも話すと長くなるので適当に解釈してください。

とにかく、メールで年賀状を送るのとハガキで年賀状を送るのを比べると
ハガキの方が価値があると仮定して、
それでもメールで送るのは、
単に便利だからです。

つまり「便利さ」と引き換えに
「価値」を失っている、と考えていいでしょう。

では、メールの年賀状が普及すると、
低価値のものが標準レベルということになります。
とすると、これまで普通にやっていた
年賀ハガキは、以前は標準レベルだったのが
高レベルのものになります。

これが価値の上昇です。
つまり、これが本題です。(やっとか)

で、何が言いたいかというと、
「古いものだけが持つ価値」を知らない、
あるいは
「新技術によって失われる価値」を知らない
というのが、非常に損をする可能性がある、ということです。

逆にいうと、その価値を知っていれば、
選択史が増えて、適切な選択ができるのです。

少なくとも家では電子辞書でなく
普通の辞書を使うべきでしょう。

 

2/6【アンチ・マスコミ】

僕が嫌いなマスコミの言葉集

「責任は、どこにあるのでしょうか?」
(自分にあるとは1ミリも思ってない)

「一刻も早く、原因の究明して欲しいものです」
(してください)

「なぜ未然に防げなかったのでしょうか?」
(あなたが防がなかったからです)

「国民だってバカじゃないんですから」
(バカにすんな!)

「許せませんね」
(じゃあどうするんですか?)


中でも特に「なぜ未然に防げなかったのか」
というのは、いただけません。

そもそも「未然」という概念自体が、
「物事が起こること=事件」なくして
発生しないわけで。

これは「未然」を「事前」に置き換えるとわかりやすいと思います。

「事前」→「事件」→「事後」
という時間の流れがあるとして、
「事件」が起きなければ
それは「事前」でも「事後」でもない、
ただの時間です。

見方を変えると、「事前」という概念が発生したとき、
つまり事件が起きたときまでは、
「事件は未然に防がれていた」のです。

何が言いたいかというと、
世の中には「未然」という概念が発生する以前から
「未然」に防ごうという努力がなされている部分はいっぱいあるし、
実際、いろんなことが「未然」に防がれているはずなのです。

ただ、それは防がれているがゆえに
「未然」とは認知されない、
気付かれないのです。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年12月 | トップページ | 2009年12月 »