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2005年10月 1日 (土)

2005/10 (他ホームページより移転)

10/2(日)

先週の水曜日は養護学校でコンサートをしました。
いわゆる障害者のいる学校ですが、
演奏後に校長先生が

「演奏中に子供たちが声を上げたり手を叩いたりして、
 演奏しにくいこともあったかと思いますが、
 それも子供たちの感情表現と思っていだけたらと思います。
 音楽から感じたことを表現して、コンサートという空間を
 一緒に作っていたのだと思います」

ということをおっしゃっていました。

それは僕も演奏中に感じたことです。
どうも音楽をしていると、音楽を聴くときもプレイヤーとして
聞いてしまうのです。
つまり技術的なこと、理論的なことを分析しながら聞いてしまいます。

しかし元来音楽は「感じる」ものだし、歴史的にも「参加する」ものなんですよね。
そういう意味では、ダンスミュージックとかロックバンドのライブとかは
本来的な「音楽」に近いのかもしれません。

クラシックって、どちらかというと「学問」っていうような面があるし、
「正しく演奏する」というのが存在してしまっています。

一方で、オーケストラの多彩な楽器の表現力は、
いろいろなことを聞いている人に
感じさせる無限の可能性を秘めているわけで、
そこらへんを忘れて演奏すると、
音楽にはならないような気もします。

少なくとも、いい演奏ができたか、よりも
聴いてる人がいい演奏だと思ったか、のほうが重要でしょう。
つまり音楽は自己評価できないのです。

10/10(月)

最近忙しいので、あっという間に日が経ってしまいます。

綿矢りさの「インストール」が文庫で出ていて買いました。
380円と、かなりお徳な値段。
そういえばイタリアに行くときに寄った、ソウルの空港に、
インストールの韓国版が売ってました。

昨日の読売新聞の記事で、
文学賞の年少化がとりあげられていて、
綿矢りさが受賞したのは20歳だったそうですが、
今回は13歳だとか。

本といえば、四条河原町の丸善が閉店してて、
街行く人々が写真とか撮ってました。
広島の人は、お好み焼きの「みっちゃん」が閉店したところを
想像すれば、だいたい近いかと。
四条河原町のあたりにはブックファースト、
紀伊国屋があって、さらに今度
西日本最大規模のジュンク堂が出店するらしいので、
かなりの激戦区になりそうですなぁ。

あと、フタバ図書が11月に東京進出だそうです。
今年は他にメガを2店舗だすようで、なかなかリスキーな感じ。

10/16(日)

今日、ポッと浮かんだアイデア。

まず、ちっちゃいお店を出すんですねー。

んで、本を置きます。
料理本、旅行本、ヴィジュアル本、雑誌、漫画など、
軽く読めるものをメインに。

んで、小物類も売ります。
CD、DVD、食器、文具etc.も少量売ります。

手作りパンも売ります。
カフェをやります。
6テーブルくらいかな。

本や小物などを1000円以上のお買い上げすると、コーヒーが無料になります。

夏はカキ氷、秋は焼き芋も店の前で売ります。

これを駅前に出店すれば、儲かるかな。

11/22(日)

綿矢りさの「インストール」を読みました。
僕は本を読むときは、このページに載せるため、
気に入った部分があるページの端を折っておくんですが、
上記の引用を読んだとき、ほう!と思って折りました。

で、読み進んでいくと、巻末の解説でも
同じ部分が引用されて、絶賛されていました。
しかも褒め方が、僕の感想と全く同じ。
僕も文学を見る目ができたのかも。

何がすごいかというと、思い悩む17歳の心理の描写…
なんかでは全然なく、
文章のテンポ、リズムです。句読点の付け方、
あと地の文が、突然感情に変化したりとか。
解説には「音楽のような文章」と評してありました。

さらに付け加えるなら、思ったコトが瞬時に文章になった感じ、でしょうか。
つまり「感情の言葉」、「思考の言葉」に近い。
感情や思考というのは、整然とした、
論理的な言葉で行っているのではないし、
ときには溢れるようにスピードを持ってわき出てくるものなわけで、
そこらへんをうまく文章化しています。

ただ、この手法は後半4分の1くらいでは消えてしまうし、
もう一つの書き下ろし短編には全く出てこなかったので、
綿矢りさの常套テクニック、というわけではないのかも。

けどもう一つ特徴があって、これは「インストール」にも短編にも
共通なんですが、
物語のはじめから95%までは暗い雰囲気で進行して、
最後の最後にパッと明るくなって、そして突然終わるんです。
たとえるなら、
ずっと短調だった音楽が、最後の2小節だけ長調になった感じ、
というと、わかる人とわからない人の差が激しいことでしょう。

あと、全然終わりじゃないところで終わるんですね。
たとえるなら、ハ長調なのにミで終わる感じ、でしょうか。
(もはや理解してもらう気はない)

人生に明かりが差した瞬間に、
空が晴れ渡る前に終わる感じ。
これからもっと明るくなるのに、みたいな。

逆に考えると、読者の中で、確実に明るくなっていく余韻が持てるわけです。








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